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[インタビュー]熱狂からの転落を経て,マックスむらいは“揺るぎないもの”でもう一度ピークを目指す。YouTube20周年を機に聞く氏の半生と展望
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印刷2025/12/15 07:00

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[インタビュー]熱狂からの転落を経て,マックスむらいは“揺るぎないもの”でもう一度ピークを目指す。YouTube20周年を機に聞く氏の半生と展望

 2025年に,動画投稿サイトのYouTubeが20周年を迎えた。歴史を振り返ると,2005年2月14日にドメインwww.youtube.comが有効化され,4月23日に初の動画投稿があり,12月15日に正式サービス開始,そして2007年6月19日に国内向けの正式サービスが開始されたという流れだ。

 そんなYouTubeが,国内で広く認知されたのは2013年頃からで,2014年10月には「好きなことで,生きていく」というキャッチコピーをひっさげて,テレビCMや主要駅でのポスター掲示など大々的に広告キャンペーンを展開した。

 そのキャンペーンの中で,当時YouTubeで活動していたヒカキン氏らと並びフィーチャーされたのが,マックスむらいこと,村井智建氏(以下,マックスむらい氏)である。「パズル&ドラゴンズ」など当時人気の高かったスマートフォンゲームのプレイ実況動画で,まさに一世を風靡したマックスむらい氏がいかにして誕生し,何を考えて活動していたのか振り返ってもらうとともに,今後の展望を語ってもらった。


マックスむらいこと,村井智建氏
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村上 龍氏や江川達也氏の作品で,都会の生活に憧れた10代


4Gamer:
 本日はよろしくお願いします。事前にむらいさんについて書かれた書籍やインタビュー記事などを拝見したのですが,むらいさんは石川県穴水町で牧場を営んでいた家に生まれて,小学2年生のときに計算コンテストで全国上位に入るなど,子供の頃から非常に優秀だったそうですね。

マックスむらい氏:
 小学生の頃は,たぶん何も考えていませんでしたね。身体が弱かったので,あまり運動ができない。だから家に引きこもって公文式で勉強するくらいしかなかったんですよ。それで計算コンテストの上位を取って。
 中学は荒れた環境でした。1990年代半ばでしたけど,田舎だったので,まだ短ランボンタンが流行っているような。「生徒会長なんて村井にでもやらせておけ」みたいな雰囲気で,私も「ほかにいないなら,やるしかないか」って。

4Gamer:
 積極的に自分の能力をアピールしたいわけではなかったと。

マックスむらい氏:
 当時から自分のことを寡黙な性格だと思っているんですけれども,中学高校で生徒全員の前でしゃべっていたおかげで,今でも人前に出たときやカメラを向けられたときに話すことにはそれほど抵抗はないですね。

4Gamer:
 高校の卒業に際して,東京大学を受験し残念ながら不合格となってしまい,防衛大学校に進学されたわけですが,防衛大学校は自衛隊の幹部を養成するところですから,なかなか「滑り止めに一応受けておこうか」となるところではないですよね。なぜ志望したのですか。

マックスむらい氏:
 今でもそうなのかは分かりませんが,当時の防衛庁には,地元の学生が防衛大学校に進学すると,その地方の自衛官の評価につながるような制度があったんですよ。それで高校を卒業する成績優秀者のところに,地元の自衛官が菓子折などを持って勧誘に来るんです。私も勧誘を受けて「受けとくか」くらいの気持ちで受験したら,合格しました。

4Gamer:
 本当に「受けておこうか」ぐらいの気持ちだったんですね。

マックスむらい氏:
 防大の入学試験は普通の大学よりも早い9月か10月にあって,その合格が決まったあとに東大の入試を受けて落ちたんですけれども,どうしても東京に出たかったので,ほかに選択肢がないから防大に入学したわけです。でも実際には東京ではなくて神奈川にあって,全寮制だし,キャンパスライフとはほど遠い世界だったので,「嘘やろ……」と(笑)。

4Gamer:
 (笑)。その話は書籍にもありましたが,事前に調べなかったんですか。

マックスむらい氏:
 全然調べてなかったんです。何よりの目的は東京に行くことで,防大は東京にあるんだと思い込んでいましたから。
 私は読書が好きで,中学生の頃から結構背伸びした本を読んでいたんです。村上 龍さんにハマって,エッセイ集から何から全部,それこそ本棚2個が埋まるくらいに。今,村上 龍と言えば誰もが認める文化人ですけれど,当時は毒気が強くて,今だとコンプライアンスに引っかかるような発言も結構あって。そこに「自分とは違う世界の人だな」という憧れのようなものを感じていたんですよね。

4Gamer:
 東京,都会の生活を思い描いていたと。

マックスむらい氏:
 あとは江川達也さんの作品にも影響を受けました。「東京大学物語」とか「GOLDEN BOY」。とくに「GOLDEN BOY」は,当時のライフスタイルとしてフリーターがもてはやされていたので,自転車で全国を巡っていた主人公が,成り行きでバイト先の女社長と……みたいな展開に惹かれていました。ほかにもさまざまなエンタメであふれてるから,絶対東京に行こうと。でも防大に入ってみたら,そんな想像とはまったく違う世界で,初日にすごく衝撃を受けました(笑)。

4Gamer:
 対極といっていい世界ですよね。

マックスむらい氏: 
 当時の防大は今よりもかなり荒っぽくて,暴力と権力が支配する上下関係の極のような世界だったんですよ。4年生は神様で,すれ違うときに敬礼が1秒遅れるだけで殴られる。でも私は,それが楽しかったんです。
 とにかく声のデカいヤツが強いから,高校の合唱部で鍛えた声量でカマしまくって,「ヤッベ,楽しい!」と。そんなヤツ,ほかにいなかったですよ。

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4Gamer:
 そんな順風満帆な防大生活にもかかわらず,入学から3か月で自主退学したのは,どういう理由だったのでしょうか。

マックスむらい氏: 
 日々が楽しくて,脳裏に「このまま国防に一生を捧げるのもアリだな」とよぎったとき,「これはダメだ。自分が思い描いていた道じゃない。今すぐ辞めないと」と思ったんです。それで即座に上官に辞意を伝えて。

4Gamer:
 楽しくてこのままいってしまいそうだからこそ,退学を選んだと。入学してから一番楽しそうにしていた存在が辞めるのは,ほかの1年生にとって大事件ですよね。

マックスむらい氏: 
 先日,当時の1年生が集まる同期会があって私も招待されたんですけれども,「あのとき村井が辞めたのは,本当に衝撃だった。仕事ができたし,そのままエリートコースに行って同期の中でトップに立ってもおかしくないヤツが辞めて,本当にビビった」と言われました。

4Gamer:
 思い描いた道とは違ったという話がありましたけれど,防大を辞めたあとは,初心に返るじゃないですが,東京で生活を送ろうと決めていたんですか。

マックスむらい氏: 
 そうですね。都会にある24時間サウナで深夜に掃除して稼いでいるみたいなイメージを思い描いていました。田舎で牛に関する仕事しか見たことがなかったような自分にとって,村上 龍さんや江川達也さんが描く「はっちゃけて,色気満載な東京の生活」は,何をやっても生きていけそうだし,楽しそうだったんですよね。

4Gamer:
 防大の生活も楽しいけれど,もっと楽しそうな世界があったと。

マックスむらい氏:
 規律正しい防大での日々,ひいては防衛庁での公務員生活は違うと感じました。防大生は普通の学生と違って,税金で学費が賄われ,毎月の手当まで支給されますから,早めに軌道修正しないと国民の皆さんに迷惑をかけてしまうという思いもありました。


知識がないままIT業界に飛び込み,昼夜もなく働いてAppBank設立へ


4Gamer:
 防大を辞めた直後,特にIT知識に自信があったわけでもないのに,ITベンチャーのガイアックスに言わば押しかけのような形で入社して,そこから会社に寝泊まりしながら,昼夜も土日もないような生活が始まったそうですね。正直なところ,「入社の経緯も働き方も無茶苦茶だな」という感想を持ちましたが,体力的にも精神的にも大丈夫だったんでしょうか。

マックスむらい氏:
 でも当時の自分は,それが普通だと捉えていたんです。当時の渋谷はビットバレーなんて呼ばれていて,ITベンチャーでは会社に寝泊まりするスタッフが珍しくありませんでした。日付が変わる頃,渋谷の並木橋にある「さかえ湯」に行くと,ITベンチャーのスタッフで満員なんですよ。雑誌に顔を出しているような幹部社員もいて,挨拶したり。
 もちろん,そんな状況は当時だからこそですし,私自身は大丈夫でしたが,精神的に病んでしまった人もたくさんいただろうと思うくらい過酷ではあったと思います。

4Gamer:
 そんな生活を送れたのは,むらいさんがそういう性格だったからでしょうか。それとも防大で厳しい世界を知ったからでしょうか。

マックスむらい氏:
 もともとの性格だと思います。ストレスを感じなかったし,すごく楽しかった。営業職だったので,周囲が成果を出す中で自分だけうまくいかなかったり,「やっぱり思ってたんとちゃうな」となったりで都合3回辞めたんですけれども,その都度出戻りして,最終的には役員まで務めました。ガイアックス時代は本当に楽しかったですね。

4Gamer:
 その後,2006年2月にはガイアックスの子会社となるGT-Agencyを設立して占いコンテンツをヒットさせ,2008年10月にはAppBankを立ち上げます。

マックスむらい氏:
 GT-Agencyがすごく儲かったので,ガイアックスの社長に「税金を納めるくらいなら,私に報酬として4000万円寄こせ」と交渉したんですよ。当時24歳くらいですから,相当生意気ですよね(笑)。
 それで社長が「報酬としてはダメだけど,4000万円で好きな事業をやっていい」という条件を出してきたので,2008年7月に国内で初めて販売されたiPhone(iPhone 3G)を使って何か新しいことをやろうと。ただ私はエンジニアではないので,アプリは作れない。もしプログラミングができたら,個人開発者のような方向に進んでいたと思います。

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4Gamer:
 それでAppBankは,当初メディア事業をメインにしていたと。

マックスむらい氏:
 とりあえずレビューでも書くかと,ブログを始めたんです。最初はアプリのレビューばかりでしたが,開設から8か月めには月間PVが1000万を超えました。当時利用していたリンクシェアのアフィリエイトサービスだけでライターの報酬をすべて賄えてしまって,「面白い」と思ったのが,AppBankのスタートでした。

4Gamer:
 アプリのレビューだけでなく,iPhone用アクセサリーなどの紹介や販売にも手を広げていきましたよね。

マックスむらい氏:
 「周辺機器も紹介してほしい」というリクエストやオファーを受けて,最初はAmazonのアソシエイトリンクで手応えを見ていたのですが,記事を書いてリンクを張るだけで2000個3000個と売れていくんです。「それだけ売れるんだったら,自分達の店を持とう」と。もちろん,Amazonで3000個売れるのは便利な通販システムがあるからこそで,実店舗では10分の1しか売れません。それでもビジネスとして成り立つだろうと,2011年6月にAppBank Storeの1号店を原宿に出して,ピーク時には全国16店舗になりました。


「パズドラ」の「降臨戦」は,まるで日本代表戦


4Gamer:
 そして2013年1月には,ニコニコ生放送で「パズル&ドラゴンズ」(以下,「パズドラ」)の配信が始まります。当時,生配信プラットフォームとしては,YouTubeよりニコニコ生放送のほうが人気でしたよね。

マックスむらい氏:
 あの頃のニコニコの勢いはヤバかったですよ。当時のニコニコ生放送の公式枠って,企業が申し込んで料金を払えば取れるものじゃなかったんです。何をやるのかプレゼンして,勝ち上がらないと枠をもらえない。それくらい人気のプラットフォームでした。

4Gamer:
 そんなコンペがあったとは……。

マックスむらい氏:
 一方,当時のYouTubeで人気だったのはAKB48やユニバーサルミュージックのMVくらいで,オリジナルコンテンツとして番組形式の配信をしている人は全然いない。どちらかと言えば,テレビ番組の違法アップロードで頻繁に訴えられていたような時代でした。

4Gamer:
 「パズドラ」の生配信をやろうと思ったきっかけは何だったんですか。

マックスむらい氏:
 ドワンゴさんと「パズドラ」の期間限定ダンジョン「女神降臨!」の攻略を生放送でやってみようという話になったんですが,私達としては,AppBank Storeでそのダンジョンに登場する「ヴァルキリー」をあしらったグッズを作ったので,その宣伝をしようと考えていたんですね。でも忘れていて,紹介できなかった(笑)。

4Gamer:
 むらいさんご自身が出演することになったのは,なぜなんでしょう。
 
マックスむらい氏:
 私は「お願い!ランキング」などのテレビ番組に出演していましたから,皆が「顔を知られている村井ちゃんでいいだろ」と。
 当時のAppBankには「パズドラ」攻略班のスタッフが6〜7人いたんですけれども,誰も生放送に出演したがらない。その頃はまだゲーム実況が国内では定着していなくて,「生放送で,しかも顔出しでゲームの攻略をするなんて人生の汚点だ」くらいの感覚だったんですよね。

4Gamer:
 そういう時代でしたね。では中学の生徒会長と同じように,「ほかにいないなら,やるしかないな」と。

マックスむらい氏:
 当時の私は,かつてガイアックスで史上最年少上場企業執行役員を務めたことで知られていましたし,何だったら東京ビッグサイトで開催されるビジネスカンファレンスで講演もするような立場で,完全にビジネスサイドの人間だったんですよね。だから最初は「そんなオレが何でゲームなんかせんとあかんねん,嫌だよ」と。

4Gamer:
 そりゃそうですよね。

マックスむらい氏:
 結局,私が出演することになって。原宿にあったニコニコのスタジオから生放送を配信することになったのですが,当日行ってみたら机の上に「マックスむらい」と書かれたネームプレートがあって,皆がゲラゲラ笑うんですよ。私としては,「ホント,ふざけんなよ」って(笑)。
 それでも仕事ですからマックスむらいとしてやり遂げたわけですが,それが非常に好評でして,月1で降臨戦をやることになったんです。

4Gamer:
 それまで実際に顔を出してゲームを配信する人はほぼいなかったわけですが,やはり試行錯誤があったのでしょうか。

マックスむらい氏:
 そうですね。たとえば左側にスマホの画面があって,右側にそれをプレイする人物が映るという画面レイアウトが決まるまでには紆余曲折ありました。今では定番の画面レイアウトですが,私は当時のドワンゴのパズドラ生放送チームの発明だと捉えています。

4Gamer:
 マックスむらいと言えば,熱いゲーム実況というイメージを持っている人も多いかと思います。自然とああいったキャラクターになっていったんですか。

マックスむらい氏:
 キャラクター作りはおろか,動画で配信していることすら意識していませんでしたね。そんなことを気にする余裕もなく,むしろ追い詰められながらやっていました。
 生放送でこんな話はしなかったんですが,当時「パズドラ」のプレイヤーは2000万から3000万人いたんです。「クリアしたら全プレイヤーに魔法石を5個配布」となったら,どのくらいのお金を背負って私が挑んでいたか分かりますよね。

4Gamer:
 仮に1個100円として,3000万人に5個ずつ配ったら150億円……。
 
マックスむらい氏:
 収録中は照明のせいで暑く,指先は手汗でベタベタして画面の上を滑らないし,何十万人もの人が視聴しているし,SNSには「負けたら○す!」みたいな書き込みがあるし。自宅に殺害予告めいた投函もありました。もう気が気じゃないですよ。そりゃ,叫びながらやりますって。

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4Gamer:
 半端ないプレッシャーがあったと。

マックスむらい氏:
 当時のスマホゲーム市場は毎月伸びていましたが,その中でも「降臨戦」はかなりのメインコンテンツになっていたと捉えています。国内のインターネット市場全体でも,あれだけの影響力をもったものはほとんどなかったと思いますね。サッカーのワールドカップで日本代表が勝ったら大騒ぎ,負けたらお通夜みたいな感じで,私の降臨戦の結果が,その後1か月のスマホゲーム市場の盛り上がりに影響するような感じでした。もちろん,スマホ市場で商売しているAppBankの売上にも影響しますから,それは叫びますよ。

4Gamer:
 そんな,「世間がおかしなことになっているぞ」というのは,いつごろから感じ始めたのでしょうか。

マックスむらい氏:
 3か月めくらいですかね。2回目の「大泥棒参上」を経て,3回目の「ヘラ・イース降臨!」をやったあとには,「これはおかしい」と思い始めました。都内のバーや美容院が「降臨戦を見たいから,今夜はお店を閉めます」「常連さんだけ店に入れて,みんなで見てます」とか言い始めて。それも1軒や2軒どころの話じゃない。本当にワールドカップみたいな感じでした。

4Gamer:
 小中学生の間での人気もすごかった記憶があります。

マックスむらい氏:
 子ども達は遠慮がないんですよね。トイレまで付いてきて,私が用を足している姿を撮影して。「マックスむらいがおしっこしてるぞ!」って(笑)。

4Gamer:
 2014年12月には,CD「限界突破」もリリースされました。

マックスむらい氏:
 あれも,自分ではおかしいと思っていました。

4Gamer:
 正直なところ,見た目的にも普通の人で,芸能人やタレントといった肩書きがあるわけでもない30歳を超えた男性が,あれほどの人気者になることに対して疑問を抱いた人も少なくなかっただろうと思います。当のご自身は,あの熱狂のようなものをどう受け止めていたのでしょうか。

マックスむらい氏:
 マックスむらい以前,もっと言えばテレビに出る以前に,規模こそ違っても似たような経験はしていましたので,ある程度冷静には捉えていたと思います。
 2009年からAppBankで全国9大都市を巡るツアーをやったんです。当時,まだ肩身の狭かった各地のiPhone好きを集めて,割り勘のオフ会をやりましょうと。例年トータルで3000人くらいの動員があって,なかなか会場が取れない中,ボランティアで手伝ってくださる方もいたりして。

4Gamer:
 アットホームな感じですね。

マックスむらい氏:
 その中で,例えば結婚式会場を貸切にしてもらえると,カーテンが開いてスポットライトが当たったところに,私達スタッフがバーンと現れるみたいな演出があるわけですよ。そこに,女性の「キャーッ!」という黄色い声援が飛び交うんです。

4Gamer:
 もうアイドルじゃないですか。

マックスむらい氏:
 当時のAppBankは男性ライター5人で,若者もいましたが基本的には20代後半以降の言わばオッサンの集団ですから,そこに黄色い声援はヤバい。絶対過ちが起こると思ったので,スタッフには「勘違いするなよ」と釘を刺しました。「『iPhone,楽しい!』とみんなで飲むだけだから,絶対アカンことするなよ。ちょっとチヤホヤされても,大物ぶったり調子に乗ったりするなよ」ということを徹底したんです。

4Gamer:
 その時点で,“おかしな状況”を経験して,対策もできていたわけですね。

マックスむらい氏:
 その後,私がテレビに出たり動画を配信したりしたことで,ブログだけで展開していたときよりもユーザーの分母が増えました。AppBank Store 新宿の店内で,毎週月曜日に200人くらいのお客さんを入れてイベントを開催するようになったんですけれども,毎回5人くらいの女性が私に電話番号やホテルの部屋番号を渡してくるんですよ。怖いから全部捨ててました。

4Gamer:
 生々しい……。

マックスむらい氏:
 ただ,自分としてはそれよりもツアーのほうが衝撃でしたね。「オレらブログ書いてるだけやぞ,何でこんなキャーキャー言われるんや……」って。


ピークからの転落で,周囲から人が消えた


4Gamer:
 2013年には,ニコニコ生放送と並行してYouTubeでの活動もスタートしました。

マックスむらい氏:
 最初の降臨戦から半年くらい経ったとき,YouTubeから「チャンネルを作りませんか」とオファーが来たんです。最初は降臨戦をやってほしいという話だったのですが,それは断りました。ドワンゴと一緒に手弁当で楽しく作り上げていたコンテンツですし。
 ニコニコと差別化を図るために,自分のデスクで日常の「パズドラ」のプレイを垂れ流すようなスタイルで良ければ……ということで,YouTubeの配信を始めたんです。日記感覚で配信しただけなのに,バカ受けしましたね。


4Gamer:
 それが受けるとは予想していなかったんですね。

マックスむらい氏:
 予想どころか何も考えていませんでした。当時のYouTubeは広告収益がほとんどなかったので,お金のためでもなく。

4Gamer:
 オファーが来たからやってみた,ぐらいでしたか。

マックスむらい氏:
 YouTubeはサーバー費用などのコストをかけずに始められましたから,とりあえずやってみようという感じでしたね。
 メディア企業だから,露出が多いに越したことはないなと。ブログもSNSもテレビも動画も生放送も基本的に横一線で,どれが特別という感覚はなかったんです。ただ,それぞれに合ったコミュニケーションがありますから,動画なら最初は自己紹介といったように,やり方は変えました。

4Gamer:
 ニコニコ生放送とYouTubeでは,視聴者コメントの流れ方をはじめとした違いがありますが,その点はどのように感じていましたか。

マックスむらい氏:
 コメントはあまり気にしていませんでした。ニコニコのときから,多すぎて全然読めなかったんですよね。それに私はSNSが苦手なんですよ。今のタレントやクリエイターだったらSNSでのコミュニケーションは必須だと思うんですけど,私は最初から無理だと思ってやらなかったですし,そう公言もしています。だからYouTubeのコメント欄も私自身は見ていなかったんです。

4Gamer:
 さきほど,ご自身のことを「寡黙な性格」と評していましたものね。視聴者としてマックスむらいを見ていた側としては意外なのですが。

マックスむらい氏:
 ですので,YouTubeで印象的だったのは管理画面の優秀さですね。視聴者維持率みたいな数値があって,私がゲームで負けた瞬間に10%20%と離脱していくのが分かるんです。より多くの人に見てもらうためには,みなさんが離脱するようなシーンを極力なくそうと意識していました。

4Gamer:
 ニコニコ生放送に加えてYouTubeでも人気になり,「好きなことで、生きていく」で一般層の知名度も得た頃は,会社としても好調だったと思いますが。

マックスむらい氏:
 AppBankはメディア企業でしたから,ありとあらゆる会社が「一緒に何かやりたい。何をすれば,何をやってくれるのか」と言ってくださるような存在だったんですよね。
 詳しくは言えないんですが,月間PVなんてちょっと考えられないくらいの数字だったんです。まさにケタが違った。私が「パズドラ日記」で「今日,このガチャ引いた」と書いただけでものすごいPVになる。その日記の中に,いろんな事業部から頼まれた自社製品などの宣伝を数行だけ入れたりすると,それだけで売上がドカンと上がるんです。

4Gamer:
 そこまでの存在になったマックスむらいの“ピーク”は,2014年2月の「降臨チャレンジ10本勝負」だと考えられているそうですが,それは自分の中でのことでしょうか。それとも周囲の雰囲気から,そう感じ取ったのでしょうか。

マックスむらい氏:
 自分の中で,ですね。これを超えるのは無理だろうと思いました。「スラムダンク」で言えば山王戦です。次の試合の前に,「第一部完」にしようというくらいのインパクトがありました。本当に燃え尽きて,これ以上面白いことはできないだろうと感じましたね。

4Gamer:
 実際,視聴者数が落ちたりしたのでしょうか。

マックスむらい氏:
 そこは,あまり変わりませんでした。当時は「モンスターストライク」の配信を始めていて,「パズドラ」との差別化を図るために,ミクシィ(当時)の運営スタッフを引っ張り出して,週1回「モンストニュース」という企画をやっていたんです。何も発表することがないと言われても,無理やりひねり出して。そうやって,メーカーの中の人が直接情報発信を始めて,それが当たり前に受け入れられるようになると,ほかのメーカーも同じようなことを始めるんですよね。

4Gamer:
 自然な流れでそうなりますね。

マックスむらい氏:
 それまではメーカーからAppBankに依頼が来て,一緒に番組を作り,情報を発信していたんですけれども,あるときコロプラさんが「白猫プロジェクト」で独自の公式番組を始めたんです。そのあとも続々とメーカー独自の公式番組が始まったのを見て,「業界が変わったな。マックスむらいの役目も終えたのかな」と感じました。「パズドラ」「モンスト」も,それぞれガンホーさんやミクシィさんの公式として番組をやってくださいと,徐々にAppBankから切り離して。

4Gamer:
 メーカー公式番組のスタンダードを作った達成感を得て,一区切りついたと。

マックスむらい氏:
 もう1つはeスポーツの台頭ですね。その前からeスポーツだけはやらないと言っていたんです。もう30代のオッサンですから,ワーワー叫んでドラマチックな見せプレイはできるかもしれないけど,競技性のあるゲームで若者と対決しても絶対勝てないですから。これもマックスむらいの転機の1つでした。

4Gamer:
 そうしたご自身の転機に重なるようにして,AppBankでは2015年10月の株式上場後,役員による横領事件が発覚しました。企業としてのイメージダウンはもちろんですが,マックスむらいの活動に与えた影響もかなり大きかったようですね。

マックスむらい氏:
 一変しましたね。生放送などに事件に関するコメントが多数寄せられるのですが,私自身が裁判に関わっているので,事件について一切話せないわけです。それで「黒幕はお前だろ,役員は尻尾切りだろ」って。週刊誌などにもあることないことさんざん書かれました。

4Gamer:
 単なる憶測が炎上を加速させるネットの構図は,その頃から変わっていませんね。

マックスむらい氏:
 関係が深かったガンホーさんやミクシィさんとは引き続きお付き合いしていただけましたが,ほとんどの上場企業からは「騒動が収まるまで取引できません」と。それで取引先も売上の比率も変わりました。表に顔を出していた社内のスタッフも,叩かれてまで続ける理由はないですから独立して,私自身も会社から抜けたり。それら含めて,会社としては数十億単位の被害だったと思います。2016年度の売上は20億円くらい落ちましたからね。

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4Gamer:
 むらいさん自身の仕事のやり方や人との関わり方にも大きな影響があったと思いますが。

マックスむらい氏:
 さきほど話したような,あらゆる企業が「一緒に何かやりたい」という状況から,一斉に取引禁止ですからね。番組出演も,1年に1日休めるかどうかのパンパンな状態だったのが,スーッとなくなりました。

4Gamer:
 まさに手のひらを返すように,ですね。

マックスむらい氏:
 それで時間が空いても,結局1人で飲んでましたね。営業出身ですから,飲みには呼ばれたら行くスタンスでしたけど,「むらいは忙しいから,呼んだら悪い」みたいな感じで,事件前からあまり誘いが来なくなっていて。街を歩いているだけで人が集まってきて,相手に迷惑をかけてしまうから,こちらから誘うこともしづらかったんですよ。
 事件後に時間ができて誰かを誘おうと思っても,名刺などの管理はマネージャー任せだったので,自分では連絡先を把握していないことに気づいて。

4Gamer:
 ただでさえ落ち込んでいるのに,話をする相手がいないのはさらにきつかったと思いますが,どのように日々の仕事をこなしていたのでしょうか。

マックスむらい氏:
 「笑顔で動画を配信し続けることが潔白の証明」と考えて生放送を継続したのですが,それでどんどん炎上が大きくなってしまったんですよね。今だと,YouTuberが何かやらかしたら「1か月休止します」とか言って活動を一時停止するのが当たり前ですけど,当時はそんな慣習,文化のようなものはなかったんです。

4Gamer:
 現在のYouTubeでは謝罪動画がもはや1つのジャンルのようになってますが,当時はそうでしたか。

マックスむらい氏:
 むしろ,YouTuberが謝罪する文化を作ったのが私だと言われたこともあります。当時は「何で謝るの?」くらいの雰囲気だったんですが,私が何かやらかすたびに謝ったせいで,YouTuberの謝罪が定着したと(笑)。
 それはともかく,今あんな事件が起きたとしたら,間違いなく3か月は休止すべきでしょうね。当時は上場直後で,目指すべき数字がありましたし,私自身が筆頭株主として責任を持って仕事をやり続けようと考えていたのですが,休んだほうが絶対ダメージは少なかったと思います。


YouTubeは「クリエイター・イズ・キング」「コンテンツ・イズ・キング」


4Gamer:
 そうやって,YouTubeのさまざまな面を体験して,その文化やイメージにも少なからぬ影響を与えたむらいさんは,20周年を迎えたYouTubeにどんな思いを抱いているのでしょうか。

マックスむらい氏:
 ずいぶん変わりましたよね。何というか,“常識的なプラットフォーム”になったと感じます。一時期,トップクリエイターのみなさんが「YouTuberは重労働だから休んで当たり前」と話すようになったのを見て,「ああ,もはや仕事なんだな」と。
 YouTubeは2014年に「好きなことで,生きていく」というキャッチコピーでクリエイターをプッシュしましたけれども,当時の私の広告収益はたいしたことなかったですからね。「YouTubeで飯が食える」と思えたのは,その少しあとでした。

4Gamer:
 そうだったんですか。むらいさんも,当時はまさに「好きなことで,生きていく」YouTuberとして,かなりフィーチャーされていた記憶がありますが。

マックスむらい氏:
 私の認識だと,2014年当時のGoogleさんはYouTuberという呼称を嫌っていた印象があるんです。私がそのCMに出たときも,YouTuberではなく,「動画クリエイター」のような肩書きだったかと思います。それが2016年の確定申告で,職業をYouTuberと申請したという事例ができて,世間一般に広がったと認識しています。つまり2014年から2年間で,YouTuberが職業として認知されて,税金を納めなければならないほど広告収益が上がったということですよね。

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4Gamer:
 好きなことで生きていけるようになったのは,CMから少し遅れてだったわけですね。

マックスむらい氏:
 2014年頃は,ヒカキンさんもはじめしゃちょーも,収益はないけれど好きだから楽しくやっているという感じでした。今はもう最初から仕事として入ってきて,ジャンルを選んで視聴数を上げて……といったテクニックを駆使するようなケースが目立ちますよね。

4Gamer:
 人気のお笑い芸人が進出してきて,収益を上げることも珍しくなくなりました。

マックスむらい氏:
 私がYouTubeに関わりだしたときは,視聴者なんて意識していませんでしたからね。作りたい動画を作って配信してました。
 今の状況を見ると,仕事にしてまで発信したいことなんてあるのかと思ったりもします。もっと好き勝手やっていいんじゃないかと。その意味では収益など気にせず,「有名になりたい」というモチベーションでTikTokなどに動画を投稿するほうが,健全な気がしますね。

4Gamer:
 TikTokはYouTubeに比べて稼ぎにくいとされていますが,人気ですよね。では,ニコニコやTwitch,Ustreamといったライバルがいた中,YouTubeがトップに立った要因をどう捉えていますか。

マックスむらい氏:
 それはやはり,広告収益の分配モデルをいち早く整備したからでしょうね。2013年から2014年にかけて,当時のインターネットにおけるトップスターがYouTubeのチャンネルを開設し,その事務所的な企業も多数生まれた。つまりUUUMのように,企業がクリエイターをリクルートして,YouTube動画から収益を得られる仕組みを作ったんです。

4Gamer:
 お金が稼げるところに人が集まるのは,自然なことではありますね。

マックスむらい氏:
 さらに言えば,“個”の仕組みを収益・事業モデルとして提供したことがすごくうまかったなと。ニコニコを例に出すと,公式番組中心で,どこかテレビの地上波っぽい雰囲気もあったんですよね。枠があって,「誰か,ここでやりますか?」というやり方。
 一方,YouTubeは完全に“個”に着目して,「みんな,好きなところにチャンネルを作ってやってください」というやり方をした。しかも自分のチャンネルに広告が流れれば,その収益が分配されるので,とても分かりやすい。

4Gamer:
 地上波の例えはよく分かります。そこの違いは大きそうですね。

マックスむらい氏:
 もっとも,その意味ではTikTokのほうが上手ですけどね。TikToKは,自分の動画に広告が付いているとクリエイターに思わせない作りになっている。だから広告収入がなくても,それほど違和感がない。

4Gamer:
 「広告がついてるのに収入がない」と思わせてしまうと,クリエイターは去っていくでしょうからね。

マックスむらい氏:
 YouTubeのビジネスモデルは「クリエイター・イズ・キング」または「コンテンツ・イズ・キング」,TikTokは「プラットフォーム・イズ・キング」だと,以前講演で話したことがあります。商売としてはTiKToKのほうが賢い。だってお金を分配しなくても,クリエイターが勝手に頑張るから。
 私は,クリエイターが「収益を得る場所」がYouTubeだと認識しています。たとえTikTokkerとしてバズったとしても,最後の最後はYouTubeで稼ぎを得たい。TikTokでの活動は,そこに至る過程なんです。何だかんだで,YouTubeは動画配信における王者だと思い続けていますね。私自身にとっても,一番重要なプラットフォームはやっぱりYouTubeです。


「YURINAN -ゆうりんあん-」は,時間をかけてゆっくり育てたい


4Gamer:
 近年のむらいさんの活動と,今後の展望についてもうかがいたいと思います。2015年3月に一度AppBankの代表取締役CEOを退任,取締役COOに就任して,2020年1月に再び代表取締役CEOに就任,2024年3月にはそれを退任して一社員として入社し直すと,かなり目まぐるしい動きのように感じますが。

マックスむらい氏:
 社内的には,経営陣との相談の結果などが理由ですね。創業から社長を務めていて,AppBank上場がほぼ確定したタイミングで取締役になったのは,シンプルにマックスむらいが忙しかったからです。上場の大変さはガイアックス時代に経験しているので,マックスむらいの活動との両立は絶対無理だと。

4Gamer:
 本日うかがった話だと,マックスむらいの活動だけでも尋常ではないですからね。

マックスむらい氏:
 それで5年間取締役を務めましたが,2020年にAppBankが経営を黒字にできない,これからどうしようというタイミングで,もう1回頑張ろうと再び社長になりました。コロナ禍もあった中で,すごく頑張ったのですが結局黒字にはできませんでしたね。

4Gamer:
 それで社長を退任されたのは想像できますが,また社員として,というのは……。

マックスむらい氏:
 「これからAppBankが生まれ変わる」というテーマを掲げたときに,マックスむらいがまた現場に戻って事業に取り組むのは,物語として分かりやすい。私自身,現場が好きということもありましたが,そういった対外的なメッセージとして社員としてあらためて入社したわけです。
 しかし1年やってみて,AppBankの今後の計画を考えたときに,事業進捗が間に合わない。それで自分の手がけていた事業を買ったりして,結局最後は辞めたという感じでした。

画像ギャラリー No.011のサムネイル画像 / [インタビュー]熱狂からの転落を経て,マックスむらいは“揺るぎないもの”でもう一度ピークを目指す。YouTube20周年を機に聞く氏の半生と展望

4Gamer:
 むらいさんが買った事業が,現在むらいさんが代表を務めるマールのどら焼き専門店「YURINAN -ゆうりんあん-」の運営ですよね。そもそものきっかけは何だったのでしょうか。

マックスむらい氏:
 昔から,地名と紐付いたお土産品を扱いたいと思っていたんですよ。10代の頃に「都市とパワー」をテーマにした論文を読んだことがあるんですが,たとえばニューヨークと聞いて何を連想するかというお題に,エンタメ好きならブロードウェイ,スポーツ好きならヤンキース,金融関係の人ならウォール街といったように,人それぞれに思い浮かべるものがありますよね。

4Gamer:
 そうですね。その地の名所,象徴というか。

マックスむらい氏:
 お土産品もそれと同じで,北海道なら「白い恋人」,三重だったら「赤福」といった地名に紐付くものがある。これから日本は人口減少などの理由で観光立国になっていくという話もありますが,本当にそうなったときに,地名に紐付いたお土産品を扱っていれば,数百億円の売上が期待できるんですよ。

4Gamer:
 数百億ですか。

マックスむらい氏:
 お土産品を扱っている企業はほとんど未上場ですから,詳細は分かりませんが,たとえば1993年に誕生した「博多通りもん」は,2018年の売上高が約75億9000万円で,「最も売れている製菓あんこ饅頭ブランド」としてギネス世界記録に認定されました。それを考えると,さらに歴史が長くて定番化しているものは,100億円200億円を軽く超えていてもおかしくないですよね。

4Gamer:
 今調べてみたら,「白い恋人」の石屋製菓と石屋商事は,2024年度の連結売上高が234億円とでてきました。確かにそうですね。

マックスむらい氏:
 鎌倉でAppBankを創業した頃,「この事業がうまくいったら羊羹をやろう」と話していたんです。鎌倉は「鳩サブレー」が有名ですけれど,「むしろ羊羹のほうがふさわしくない?」って。本事業がうまくいきすぎて,そちらにかかりっきりになってしまいましたが。

4Gamer:
 お店の場所は変わりましたが,本来想定していた道に戻ってきたとも言えるわけですね。

マックスむらい氏:
 その間に,マックスむらいというIPがグッズの契約金だけで20億円を稼ぎ,そこから一気に転落する経験をして,そんな浮き沈みのある商売に自分の人生を捧げたくないという思いも出てきましたから。
 今,SNSでさまざまなスイーツがバズりますが,大半が半年持たずに消えていきますよね。でもどら焼きは,10年後,50年後も絶対にあります。短期の商売ではなく,時間がかかってもいいので,揺るぎないものを作りたいんですよね。

画像ギャラリー No.004のサムネイル画像 / [インタビュー]熱狂からの転落を経て,マックスむらいは“揺るぎないもの”でもう一度ピークを目指す。YouTube20周年を機に聞く氏の半生と展望

4Gamer:
 YURINANでは,マックスむらいの名前を積極的に出していない印象を受けますが。

マックスむらい氏:
 それも同じ理由ですね。浮き沈みのあるものに振り回されたくないですし,長い目で見たときに,マックスむらいは邪魔になると考えました。5年前に事業を始めた当初から,地味に商売を展開しています。
 対比するのも何なのですが,ヒカキンさんは,ご自身の名前を入れた「みそきん」というラーメンを作りましたね。

4Gamer:
 ああ,元祖YouTuberのお2人が,奇しくも食品ビジネスをを手がけるようになっていますね。

マックスむらい氏:
 私も仮に炎上していなかったら,「むらどら」をやっていたかもしれません。絶頂期にあの炎上を喰らった体験があるからこそ,名前を入れないどら焼きなんです。そういう意味では,インフルエンサーとして10年先を行っていると思います。

4Gamer:
 発言に重みを感じますね。
 AppBank最後の配信で,むらいさんは「自分がやりたいことをやったことは少なくて,誰かがやりたいと思ったことを自分のやりたいことにしてきた」という旨の発言をしていました。YURINANを含め,現在のむらいさんは,自分がやりたいことをやっていると捉えていいのでしょうか。

マックスむらい氏:
 そうですね。お土産は昔からやりたかったことですし,配信なども誰かに言われてやっているものではないので,今はすごく楽しんでいます。
 AppBankで働いていた17年間は,1分1秒無駄にできないとスケジュールを詰め込んでいましたが,今は私が急いでもYURINANがうまくいくわけではないですから,すごくペースダウンしました。この半年ほどは,午前中オフィスにいても,大好きなメジャーリーグの試合を見ていることが多かったですね。
 こんなに自分のペースで仕事をするのは初めてなんですよ。「これがやりたいことをやるってことか」と実感しています。

4Gamer:
 むらいさんは近年のインタビューで,たびたび「好きなことで生きてはいけない」と話されていますね。ただ,あれだけの浮き沈みの後でもYouTubeでの配信を続けているのは,やはり配信やマックスむらいとしての活動が好きだからなのではないか,好きじゃなかったらできないのでは……と感じることもあるのですが,いかがですか。

マックスむらい氏:
 続けることと,好きか嫌いかはあまり関係ないんです。実を言えば,あの炎上がなかったら,私はすでにマックスむらいをやめていたと思うんです。あの炎上があったから,今でもマックスむらいをやっています。

4Gamer:
 どういうことでしょうか。

マックスむらい氏:
 あの炎上でさんざん叩かれたとき,「もうやる意味ないな」と思って,いろいろな人に相談しに行きました。その相談相手の多くは,私より一回り年上の経営者クラスなんですが,全員が全員「血を吐いてもやめるな。絶対続けろ」と言うんです。「ちょっと休んでみたら」みたいな言葉すらない。

4Gamer:
 全員ですか。へこんでいる人には優しい言葉をかける人が多いと思いますが。

マックスむらい氏:
 そうしたみなさんのお言葉を自分なりに解釈してみたら,「もう一度頑張れたら,結構簡単だよ」ということなのかなと。マックスむらいとして迎えたAppBankのピークの売上は41億円でした。そこから落ちたとしても,一度経験したことだから,再びピークを迎えるのは不可能ではない。

4Gamer:
 でもやめたら“一度経験したこと”がゼロになってしまうと。

マックスむらい氏:
 やめてしまったら,「逃げた」と捉える人もいます。村井智建として仕事をするときに,「マックスむらいから逃げた男」と思われたら,ゼロどころかマイナスからのスタートです。再びピークを迎えるには,人生をもう一度やり直すくらいの時間と努力が必要になるかもしれない。
 経営者のみなさんは「まだ若いんだから,マックスむらいをずっと続けて,1回経験したピークをもう一度目指しなさい」とおっしゃっていたのかなと。

4Gamer:
 徐々に給料が上がっていく会社員ではなく,いいときと悪いときを繰り返す経営者だからこその意見かもしれませんね。では,むらいさんはこれからもマックスむらいを続けつつ,YURINANを大きくしていくんですね。

マックスむらい氏:
 YURINANはまだまだ小さいですけど,売上50億円は絶対に達成したいですね。そこから100億円200億円と行くためにも,マックスむらいはまだまだ続けようと考えています。

4Gamer:
 期待しています。本日はありがとうございました。

2014年,登録者数100万突破を記念してYouTubeから贈られたゴールド クリエイターアワードの盾と。現在のものよりかなり大きなサイズの盾は,当時の登録者数100万人がいかに価値のあるものだったかを物語る
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東京・原宿の竹下通りにある「YURINAN -ゆうりんあん-」の店舗前で
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